なによりも大切なのはキャラクターです。優れた、面白いキャラクターを考え、そのドラマを構築する。演劇も文学も大体それで決まります。ただし、キャラクターは単独で独立して生きることはできない。ストーリーとプロットがなければ、キャラクターは生きない。生彩を放ちません。村上春樹を見てみましょう。この作家の創るキャラクターは、じつに独創的です。そして、ストーリーもプロットもまた極めて独創的であり、お互いの独創性がみごとに相乗作用を上げています。ただし、独創性が突出し過ぎると、観客はついていけなくなる。そこはご用心を。 またキャラクターは、ストーリーとプロットによって、≪育てられ≫ます。手近なサンプルとして『シャーロック・ホームズ』を見てみましょう。彼はきわめてトンがった天才です。その推理はとても面白い。だがワトスンというちょっとロマンチック傾向があり、しかも医者である友人(語り手)がいてこそ、その天才、その推理が生きる。ホームズの天才は認めるが、その推理を疑い、誤解してユーモアをもたらす。小説の語り手として絶好の存在であり、常識というリアリティをもたらすのです。アガサ・クリスティーの、フランス語訛りのベルギー人探偵エルキュール・ポワロ、その推理もまた、友人ヘイスティングスのロマンチックな誤解推理によって生きる。プロット=語り口は、このように大切なのです。 それはストーリー、その技法なのではないか。プロットというのはどんな技法で、ストーリーとどう違うのか?なぜ必要か?と疑問を持つ人はきっと居るでしょう。プロット(plot)を辞書で引くとびっくりします。①の意味はなんと、「陰謀・策略」なのです。②でようやく、「筋・構想・仕組み」と出てくる。そもそもはつまり策略です。読者・観客を引き寄せる陰謀・策略なのです。ある文学史家によると、「王が死に、そして王妃が死んだ」というのがストーリー、「王が死に、悲しみの余り王妃が死んだ」といえばプロットなのです。小説・戯曲は必ず良きストーリーに加えて、良きプロットを持っている。ことに戯曲では必須です。 だいたいドラマは、特に舞台劇では、必ず事件の終了寸前、クライマックス寸前から始まる。そして始まったらノンストップ。それが正しい書き方です。たとえば『オイディプス』は、主人公の忌わしい運命が暴露される日に始まり、その日のうちに終わります。『ハムレット』は、父の亡霊の恐ろしい死の秘密から始まり、いかに復讐するかで進む。敵である叔父はハムレットの父を殺して王となった秘密を封じようとし、その叔父と再婚した母への憐れみ、憎悪が女への不信をもたらし、恋人オフィーリアを狂死させ、その父、内大臣ポローニアスを王と間違えて殺し、その子、オフィーリアの兄レアティーズの仇討を秘めた剣の試合が組まれ、試合用ではなく刃の付いた、しかも毒を塗った剣で殺されようとします。そこがクライマックスで、ドラマはここまでハムレットの叔父の罪の確認を経、母を責める行為を経て、一気にノンストップで進む。ドラマにおけるプロットの役割をよく示しています。 プロットがないと、ドラマもキャラクターも生きない。優れたキャラクターほど、強いストーリーとプロットが必要なのです。もちろん、映画やテレビでは生活感というリアリティが大切で、日常を日常的に生きる人たちのドラマがメインです。そもそもが「動く写真」から出発したアートです。日常的な題材、描写が、ストーリー、プロットと強く関わってきます。そしてそれはまた、それを生む国の風土、国民性と深く関わってきます。その国の映画はどういう生まれ方をしたか、と関わるのです。 エジソンが生んだ、アメリカ映画。エジソンは子供の遊び道具、パラパラ漫画と同じレベルと見ていた。アメリカの映画はスラプスティックから生まれ、チャップリン、キートン、ロイドなどの、≪セリフ≫の字幕不要の作品群を生み、アクションがメインの独自の流れに。日本ではチャンバラ大喜劇の実写から時代劇をまず生む。チャンバラと、ドロンドロンの忍術ものです。フランス、イタリアでは同時代の名優たちの演じる舞台を、そのまま写した。サラ・ベルナールやサシャ・ギトリなどの名舞台が映画化されています。≪演劇のドラマ≫の実写物が始まり。名優の演技を大勢に見せたい、そこが出発点だったからです。セリフは字幕スーパーです。フランス映画はいまだに「脚本」と「台詞(セリフ)」が別々にクレジットされます。グリフィスの『イントレランス』(1916年)や『國民の創生』 (1915年)という芸術大作は、イタリーの大作映画の二番煎じなのです。 さて、プロットとストーリーについて、概論しました。 4コマ漫画のサザエさんに、その優れた例があります。プロットはほんの日常の小話にさえ組むことができて、効果を上げるという例です。一コマめ。ワカメちゃんが、一枚の写真、髪のふさふさした男性、のを母フネに示し、「これ、だあれ?」と聞く。二コマめ。フネは笑って、「お前のお父さんですよ」。三コマめ、これがじつに傑作で、庭の木の下でひとりしょんぼりしてワカメが「じゃ、今のお父さんは2人目のお父さんだったのか…」 。四コマめ。父の波平が「失礼な!わしゃそれほど変わっとらんぞ!」 。フネは笑い転げ、ワカメは赤くなってもじもじしている。 長谷川町子は実にプロットの面白い人ですが、これはその中でも傑作でしょう。この三コマめの劇的な誤解と悲しみ、これが抱腹絶倒のクライマックスを生んでいます。良きプロットというのはこういうものなのです。そしてキャラクターはこのようにストーリーとプロットを与えられて、初めて生きるのです。 映画は、フィルムまたはビデオに印画された作品を、大量の観客に見せるというサービスです。印画されるのは現実の人間、その世界です。どんなハチャメチャな冒険譚でも、それを為す人間と、それが存在するリアリティを描かねばならない。時代劇でも、撮影された≪時代≫からは逃れられない。人も世界も、その時代の現実を背負っている。それをしっかり踏まえつつ、映画の文法を理論的に成立させたのがエイゼンシュテイン、作品は『戦艦ポチョムキン』(1925年)。この人の映画の文法を次に語ります。 『戦艦ポチョムキン』は、ロシア革命の初期、待遇の酷さに水兵たちが反乱を起こした戦艦が、オデッサに入港する。オデッサ市民たちが歓呼して迎える。その市民たちを皇帝側のコザック騎兵が襲い、追い散らして、傷つけ、殺す。このオデッサ港の大きな石段のシーンがじつに迫力があり、映像ドラマとして傑作で、せんだって映画『アンタッチャブル』(1987年)のシカゴ駅階段の射ち合いのシーンで、転がり落ちる乳母車というモチーフの一つを、そっくり真似ていました。エイゼンシュテインと『ポチョムキン』へのオマージュでしょう。ただ『ポチョムキン』はドラマとしては単純明快で浅く、エイゼンシュテインのものとしては『アレクサンドル・ネフスキー』(1938年)の、氷上のドイツ・エストニア連合軍対ノブゴロド軍の戦いの方が、ドラマのクライマックスとしてはコンパクトにまとまっています。 エイゼンシュテインのモンタージュ理論というのは、カットのつなぎは全く正反対のカットをつなげろ、正に対して負、そうするとその2つから全く新しいイメージの正が生まれ、力強くなるということです。マルクスの弁証法に影響を受け、たまたまソビエト革命のさなかだったからえらくもてはやされた。日本でもみんなモンタージュをやろうとした。まあ当時は日常ドラマよりチャンバラ映画の時代だったから、オデッサの階段的なセンセーショナルなタッチが受けたんですね。こんな笑い話も生まれた。重病人のとこへ医者が来ている。病状を見て難しい表情になる。次のカットで、薬匙がぽんと投げ出される。これはどういう意味だと、みんなきょとんとする。すると監督は得意満面、病状が重く、「医者も匙を投げた」んだ、と。みんなガックリきたそうです。サイレントの時代で、なるべくスポークンタイトルは使わず、描写で見せようとしてたからこんなアホなモンタージュ紛いが生まれたのですね。 芸術表現は、その芸術が生まれた時代には、なかなかその表現の真の使い方に達しないものです。ことに写真は、人・物・風景を写せば成り立つから、大人の玩具、家庭の記録用、といった日常性からなかなか独立しなかった。いい風景に音楽を流しているだけみたいな映画は、トーキー初期随分乱発された。その中からドイツでは『会議は踊る』(1931年)という、ロシア皇帝とドイツ娘の恋愛オペレッタ、フランスではルネ・クレールの『巴里の屋根の下』(1930年)という、これもオペレッタが、優れたトーキー映画として生まれます。世界初のトーキーのハリウッド映画『ジャズ・シンガー』(1927年)も同じようなものだった。日本ではチャンバラ映画が主体だったから、その中で生かされる。ただ、トーキー第一作は現代劇『黎明』(1927年)で小山内薫監督、出演は丸山定夫ら、築地小劇場の俳優たちでした。だから、音楽より、まずセリフを大切するという良い流れで始まったのです。初めにセリフありき、が日本映画のトーキーの精神だったのですね。