入所した翌年、小林正樹『人間の條件』三、四部(通称・第二部)に付いています。以後、小林さんが退社する『怪談』までずっと付くことになり、小林組になるわけです。だから、小津安二郎のあとの大きな主題は小林正樹なのですが、小林作品は準備と仕上げ、そして撮影で時間のかかるものばかりだったので、語るとなると分量が多いのです。で、その合間についた監督たちと作品について、まず語りましょう。私は助監督運がいい、というか、いい作品に恵まれました。ざっと思い出しても、川頭義郎『有楽町0番地』、中村登『いたづら』『いろはにほへと』、高橋治『彼女だけが知っている』、篠田正浩『乾いた花』、井上和男『紺碧の空遠く』、野村芳太郎『どんと行こうぜ』『拝啓天皇陛下様』、松山善三『山河あり』、木下恵介『春の夢』、斎藤耕一『約束』『旅の重さ』などに付いています。

『人間の條件』三・四部に付く前の作品から触れましょう。

川頭義郎『有楽町0番地』。これは、そのとき東京都が皇居の外堀を埋めて、高速道路を載せた有楽町フードセンターを造った、そのPRを兼ねた大都会トーキョーのエピソード集のライトコメディで、木下恵介のお弟子だった川頭さんと松山善三さんが、おなじく弟子だった勅使河原宏さんと組んで脚本を作った。松竹としては、華道界へ前売券を流す狙いもあったようです。勅使河原さんが実際に劇映画にタッチした最初であり、現場へよく顔を出して演出をサポートしたり、松竹マークの富士山をパロディ仕立てにしたいとか、挿入のテレビCM(当時珍しい試みだった!ニッカウィスキーでした)を作るとかで特撮部(タイトル撮りしかできなかった)に入り浸ったり(大庭秀雄組の予告編タイトルを撮りにきた大島渚にとうとう追い出された)その熱中ぶりに夫人の小林トシ子さん(木下組出身の女優で高峰秀子の相手役を『カルメン故郷に帰る』でやった人)が、「珍しく熱くなってるわよ」と喜ぶほどだったが、なんと、とうとう出演までしてしまった。それも、瞳麗子相手に主役の巷の詩人を。もともとは南原宏治がやることになってた。ところが『人間の條件』一・二部の秋田小坂鉱山ロケが延びに延び、南原さんが帰って来ない。いや、新劇俳優の大物や脇役の大物が帰ってこないので、映画界演劇界が恐慌を来たしてた。その結果、川頭組では、急遽勅使河原さん出演となった。当時としては驚くべき決断のようですが、松竹としては作品自体タイアップだし、これで更に華道界へ前売りが増える、と踏んでた節がある。勅使河原さん自体がノーブルなキャラだったからハマっていたし、ご本人もちょいとやりたい色気があったのかも。可笑しかったのは、当時はロケというと見物人が大群衆で、さすがにあがった勅使河原さんが川頭さんに「友情があるなら全部どけてくれ」と言い出し、われわれ助監督や製作陣が人よけに走り廻りましたっけ。

この映画は脚本の段階から、わけがわからない」という評判でした。しかし、今見たらそのごった煮ぶりが新鮮でおもしろいのではないか。純情対世俗という形のライトコメディで、諷刺も利かせていて、スラップスティックもある。クライマックスは公開形式のテレビショウ。作られた美談の嘘をヒロインが暴露し、大騒ぎになる。観客が怒りだす。そのアップを、エキストラから選んで即興で叫ばせた。おばあちゃんエキストラに司会者三國一朗へ「ヘッピリ腰!」と叫ばすシーンがあり、当然うまく行かず、助監督の私がトレーニングして本番に臨んだところ、カチンコを叩いた私が、同時にトラックナンバーをコールするのに「ヘッピリ腰!」と叫んでしまったのです。入れ込んでいたのと、徹夜続きの撮影でカーッとなっていたのですね。スタッフ、キャスト、三百人の大エキストラが大笑いになり、撮影所内でも話題になったらしく、大庭秀雄監督が私を見かけて、『大庭組』助監督だった大島渚氏に、「あの子かい?」と聞いたそうです。こう書いててもいまだにかーっと熱くなる。まあ、これは一過性の恥ですが、この場面ではチーフ助監督の斉藤正夫さん(のち監督)や、かの有名な松尾食堂の看板娘・松尾若菜さんまでアップでセリフを叫ばされ、のみならず、頭の方のフードセンターロケではスタッフが客として出さされ、私も回転焼の焼けていくのを見て生唾を呑む客をやらされ、大きく写っております。これは消えない恥ずかしさで、テレビ放映がありはしないか、ひやひや物です。

地味な作品で、私たち若いもんには食い足りませんでしたが、武満徹さんがのちに回想(『人は大切なことを忘れてしまうから=大船撮影所物語』)で、「いい映画だった」とお気に入りだったので驚きました。音楽を担当していたこれが武満さんとの最初の出会いでした。まだ世に出たばかりで、微かな憂鬱さと時折の微笑が印象的でしたね。高知ロケがけっこう大がかりで、高知駅でSLを発着させ、駅そのものに木の壁などを作り足して大オープンセットに仕立てましたっけ。可笑しかったのは、作り物のポストに本物の手紙や葉書が投函されたこと。慌てて投函し直しました。

そして、野村芳太郎『どんといこうぜ』。

これは、津川雅彦松竹入社第一回作品です。日活『狂った果実』で新鮮なデビューぶりを見せた彼を、松竹が引き抜いた。まあ、川島雄三ら監督、月丘夢路、北原三枝、三橋達也、大坂志郎ら俳優を引き抜かれた仕返しであり、津川氏にしてみれば、日活ではつまりは石原裕次郎の二番手、兄長門裕之の二番手だ、というひそかな認識があったのかも知れません。この作品は、スラップスティックをまじえたライトコメディで、脚本には大島渚も加わっています。谷川俊太郎さん作詞の主題歌も、脚本に載っていましたっけ。津川さんは、この作品とこの後の殺し屋たちのお話の二本だけ、野村監督と組んでいます。(この中の、マッサージ師を装う殺し屋二人組に、私が伊藤雄之助さんとコンビで出演が予定されていました!)

この作品から野村組のカメラが川又昂に変わる、大島さんの推薦です。大島さんは監督になる、という目標に的確に進んだ人で、この1年はその実現への第一歩だったようです。ちょっと触れておきましょう。まずこの春、新人俳優紹介の短編映画『明日の太陽』を脚本・監督しています。シャレた語り口のもので、カメラ・川又昂、美術・宇野耕司ともにのちの大島組メインスタッフ。また、日活から松竹へ移るのにアメリカ留学(なんの留学か判りませんが)を経た津川雅彦の帰朝シーンが入っています。河津祐介、桑野みゆきともども、のちの大島さん作品のメインキャスト・メンバーです。

役者としてどんなものか偵察したのでしょう。そしてこの後、助監督室脚本集に書いた『月見草』が映画化されます(岩城其美男監督)。この脚本集は定期的に会社の費用で出版され、大島さんの第1作『愛と希望の街』第2作『青春残酷物語』の初稿もここに載ったものです。ここに載ると社長の城戸四郎や撮影所の人たちがみんな読み、脚本料も少しだが出た。ここから山田洋次、篠田正浩、高橋治、吉田喜重、田村孟、石堂淑朗、山田太一、広瀬襄、田向正健、三村晴彦らが輩出しています。このオリジンは大島さんや高橋さんたちが始めた『七人』という同人誌ですから、大島さんの功績は実に大きい。そして大島さんは、この年の暮れ『愛と希望の街』で遂にデビューする。ところが、カメラは川又さんではなく、木下恵介のカメラマン楠田浩之さんだった。川又さんは、『人間の條件』三、四部に撮影助手チーフとして掴まったのです。一、二部はにんじんくらぶ+歌舞伎座プロで外部作品でしたが、今回は大船作品として大船でインした。名カメラマン宮島義勇に付けて学ばせる、大船百年の計の為だ、と所長が決め、大島さんの頼みを聞いてくれなかった、とか。(大船は百年持ちませんでした)

この三、四部の助監督に、私は付いた。異例の五人編成となり(通常は四人)、もうインしてたのに急遽付いた。北海道長期ロケが大変、というので。事実、大変でした。それはまた後ほど。

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